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★★★★★ 東京長高金鵄会メールマガジン2015/8月号★★★★☆
東京長高金鵄会は関東在住の長野高校出身者による交流の場です。同窓生
の交流・親睦のため定期的に講演会を企画し、メルマガを配信しています。
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【1】長野高校、長野北高、長野中学関東地区同窓会「東京長高金鵄会」について
東京長高金鵄会会長 中村 健 高校22回
【2】卒業10周年記念同窓会の開催 黒石 秀一 高校57回
【3】総会・講演会日程について
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残暑お見舞い申し上げます
みなさまおかわりなくお過ごしのことと存じます。今号は同窓会のアクティビ
ティを特集しました。
中村会長が東京長高金鵄会の歴史を詳細に掘り起こし文章にまとめてください
ました。メルマガに掲載して良しとのことでしたので、本号にて皆様と情報共有
したいと思います。
また、57回の黒石氏からは卒業後10周年同窓会の様子をご寄稿いただきま
した。お楽しみください。
東京長高金鵄会幹事長 近藤 英一
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【1】長野高校、長野北高、長野中学関東地区同窓会「東京長高金鵄会」について
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東京長高金鵄会会長 中村 健(高校22回、1970年卒)
(はじめに)
この度現在「東京長高金鵄会」の名称となっている長野高校の関東地区同窓会の
歴史をひも解くこととなった。資料調べにあたっては、母校の同窓会にもお世話に
なった。桃林同窓会事務局長(高22回)には、この場を借りて御礼を申し上げたい。
資料を纏めるにあたって改めて感じたことがある。それは、この会は多くの先輩
が骨身を削って育ててきた伝統ある会であることである。国会、行政、企業、マス
コミ、法曹界(順不同)など、それぞれの立場で日本の発展に尽くし、中には歴史
に名前を刻んでいるような先輩諸氏が、自己犠牲を厭わず会を盛り立てて来ている。
会の運営に時間を提供する者、金銭を出す者、場所を提供する者、また会に積極的
に参加をする者などで、これらの多くの努力が今日の「東京長高金鵄会」に続いて
いる。
今後もこの伝統を守り、その輪を更に大きくするよう皆様と共に努力をして行き
たい。
(創生期)
長野高校の前身である長野中学(長野県立長野中学校)は1999年(明治32年)に
その歩みを始めているが、その歴史は更に明治17年まで遡れるとも言われている。
さて、東京地区でのこの同窓会がどのようにして成り立ったかは、1980年(昭和
55年)に発刊された「長野高校80年史」に記録がある。
それによると、1919年(大正8年)頃には神田淡路町の日露協会会長大井包高
(長野中学3回卒業生;中3回と称す。1903年、明治36年卒。なお、敬称は略させ
て頂く)の下に同窓生30名ほどが集っていたとある。このころは会長も置いていな
かったようだが、その頃が東京長中会の初期時代と言える。
この集まりは1923年(大正12年)の関東大震災もあり、四散していたが、その後
尾崎庄兵衛(中1回)の下に復活、1928年(昭和3年)に尾崎が亡くなるまで続いた。
それからはまたしばらく中断をしているが、1939年(昭和14年)に青木一男
(中9回)が大蔵大臣となり、集まりがまた復活している。これ以降は戦争もあり
混乱をしていたようであるが、このあたりの状況は小松東三郎(中22回)が80年史
に詳しく寄稿している。
(戦後の歴史)
戦後は1950年(昭和25年)に東京長中会を組織化すべく、名簿の作成作業に入り、
翌1951年(昭和26年)1月27日に創立準備会を行っている。このメンバーは顧問に
小坂順造(中3回)、会長は小林次郎(中10回)、幹事長は塩原時三郎(中14回)と
ある。設立総会は5月23日に100名余りが参加し、参議院議員会館で盛大に行われて
いる。(長野北高校新聞に詳細な記録があったので添付する)
その後1955年(昭和30年)には会長は青木一男(中9)に代わり、1975年(昭和50年)
には篠原周一(中24回)が会長に就任し、1979年(昭和54年)には丸田芳郎(中22回)
が会長になっている。
一方、1963年(昭和38年)には、この長中会に新機軸を吹き込む目的で東京金鵄
クラブなる会も設立されている。幹事長はのちに長高会会長ともなる丸田芳郎
(中32回)である。この会はしばらくして同窓会に組み込まれている。
(信越化学に関わって)
現時点での会長である中村健(高22回)は、生まれは1951年(昭和26年)である
が、東京の同窓会が正に設立をされた年であり、ここからでも64年を経ている。な
お、同好の志が神田に集った1919年から計算すると100年近くの歴史がある会である。
私は今をさかのぼること40年前の1975年に社会人になっているが、入社した信越
化学工業は同窓の先輩諸氏も多くいる会社で、その後はほぼ切れ目なくこの会には
参加をして来ている。
信越化学はご存じのように長野県及び長野高校(中学)ともつながりが深いゆえ、
筆者のわがままで若干のことを語っておきたい。
当社は1926年に須坂の生糸製造業の越寿三郎が生糸業の傍ら、発電業に乗り出し、
その余剰電力を使う電炉を直江津に設置したのが始まりである。 直後に同じ発電
業仲間であった小坂順造(中3回)に経営を任せており、小坂順造が信越化学の実
質の創業者とも言える。
私の入社当時は信越化学は小坂順造の長男、小坂善太郎衆議院議員に加え、三男
の小坂徳三郎も信越化学社長から衆議院議員に転じており、会社に取っても県人会、
同窓会などとは幅広く付き合うことが求めれれたものと思われる。また、また昭和
40年代後半から社長を務めた小林周蔵(中17回)、その後の小田切新太郎社長(中
27回)も同窓で、更に昭和50年代から60年代に社長を務めた小坂雄太郎(中38回)
は東京長高会会長を長く務めている。また、現在の会長の金川千尋の父、金川廣吉
(中6回)も同窓である。
従って、県人会の運営もしながら東京長高会の事務局(幹事長)を長く務めた藤
原正道(中43回)も信越化学籍であり、会の隆盛のために日々尽力(自らに集客の
ノルマを課していた)をしていた。
(役員の歴史)
総会は年末に行われ1980年(昭和55年)丸田芳郎会長(中32回)の下で200名を
超える参加者があった。幹事長には杉田実(中37回)が就いている。
なお、このころ(昭和50年代)は同窓会の会場は半蔵門にあった東條会館だった。
支配人をしていた町田孝男(中30回)が大分便宜を図ってくれたようである。
1983年(昭和58年)末も丸田会長のもとで、副会長には小坂雄太郎(中38回)、
幹事長は藤原正道(中43回)で副幹事長にはそののちの幹事長となる楠真幸(中49
回)、才口千晴(高9回)も副幹事長に就任している。この年には300人を超える
同窓生が集っている。
1987年(昭和62年)には小坂雄太郎(中38回)が会長に就任している。この総会
には何と330名の参加があった。小坂会長は1990年(平成2年)に逝去し、その年の
末に田中富弥(中43回)が会長に就任している。この年も参加者は300人を超えて
いた。
翌年1991年(平成3年)にはその後長く幹事長を務める楠真幸(中49回)がその
職に就いている。この年から総会の場所も虎の門パストラルに移っている。
1994年(平成6年)には田中会長の下に、その後会長となる増沢高雄(高1回)が
副会長に就任している。
1995年(平成7年)に田中会長が逝去し、その年末の総会で増沢高雄(高1回)が
会長に就任し、副会長には伊藤右橘(高3回)が副会長に就任している。この年の総
会は230名だった。
1996年(平成8年)の総会では楠真幸(中49回)幹事長が退任し、のちに最高裁
判事となった才口千晴(高9回)が幹事長に就任。250名の参加を得た。
1999年(平成11年)には会長に伊藤右橘(高3回)が選任され、幹事長だった才
口千晴(高9回)は副会長になり、新たな幹事長には高野真弓(高15回)が就任し
ている。180名の参加となる。
2001年(平成13年)には会場を学士会館に移し、飯田邦彦(高9回)が会長に就
任している。参加150名。
2005年(平成16年)には飯田会長が退任し、荒井寿光(高14回)が会長に就任し、
幹事長も高野から矢島良彰(高19)になった。のちの会長の田中信義(高16回)も
副会長に就任している。参加は200名であったが、毎年引継ぎを行っていた学年幹
事団の引継ぎが出来なかった年でもある。その後も総会参加者は200名を切る状況
が続いている。
2009年(平成21年)には田中信義(高16回)が会長に就任し、幹事長には若手の
近藤英一(高33回)が就任している。場所は銀座の東武ホテル(コートヤードマリ
オット)に移っている。田中会長はなるべく多く集まりたいとの意向を示し、講演
会は春秋で二回、年末の総会にも講演会があり、年三回の講演会を行うこととなっ
た。各会の参加者は100名前後となっている。
その後、2013年(平成25年)には田中会長が体調を理由に降板し、副会長だった
中村健(高22回)が会長に就いている。(田中会長は翌2014年に逝去)
この会の会長は上記のごとく、会社のトップが多く、丸田会長は花王石鹸、小坂
会長は信越化学、田中会長は第一法規、増田会長は長期信用銀行、伊藤会長は東邦
亜鉛、飯田会長は片倉チッカリン、荒井会長は特許庁長官、田中会長はキャノン専
務などそうそうたるメンバーが会を引っ張って来ている
ここを多くの幹事団が支え、社会における地位を離れてボランティアで大いに力
を尽くすのか会の伝統となっている。
(運営の状況)
会は現在は年に2回から3回で、幅広い分野で活躍しているその道の専門家OBによ
る講演会、また時にはプロとなっている音楽家に演奏などしてもらい楽しんでいる。
(ここ10年ほどの講演者を別表に記す)
年末12月には総会で、幹事学年の引き継ぎを行うのが習わしだが、ここ数年は若
手年次の人間が集まらず、実際にはなかなか「金鵄魂旗」が次年度に渡らない状況
となっている。
会の恒例は何と言ってもお決まりの「信濃の国」の合唱と校歌「山また山」の斉
唱である。この歌を大きな声で歌っていると故郷の山々やその合間を流れる川、ま
た自らの若き日の姿が目に浮かび、日頃のストレスも解消される。
(終わりに)
このように伝統ある会だが、このところなかなか人が参じてくれないのが悩みと
なっている。この会とは別にOB同志の会もいくつかあるようで、それらにも声を
掛けている。
また、ご存じのように長野高校は基本的に男子校(女子は一割以下)だった訳だ
が、昨今は男女の比率がほぼ拮抗して来ており、その方がたにもどのように参加を
してもらうかも工夫が求めれれている。
現在会に参加をしてくれる最高齢OBは80歳台半ばを超えて来ている。そのような
皆様は熱心に参加をしてくれており、この会の発展も願っている。
何としてもこの会を更に発展させて行くべく、私も多少の時間的余裕も出来たの
で、尽力をして行く予定である。関係各位のご協力を改めてお願いして終わりとし
たい。
年次のデータ:
・長野中学:1901年(明治34年)第1回卒業生~1948年(昭和23年)48回生
・長野高校:1949年(昭和24年)第1回生卒業~今日に至る
なお、1949年から1957年(昭和32年)までは「長野北高校」である。
また、1940年(昭和15年)から1949年(昭和24年)にあった市立長野高校を統合
している。
※ 過去の講師 http://www.tokyo-choukou.com/2015.8.31/kouho-kouen.pdf
※ 北高新聞 http://www.tokyo-choukou.com/2015.8.31/news-kita.pdf
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【2】卒業10周年記念同窓会の開催 黒石 秀一 高校57回
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<卒業10周年記念同窓会の発案>
「Why don't we have our 10-year high school reunion?」
2014年1月4日、長野駅前の居酒屋で同級生とプチ新年会をやっていると、友人の
一人からこんな発言が飛び出しました。
翌朝、寝起きにメールを確認すると彼から「例の卒業10周年記念同窓会の幹事は
大変だと思うけど、企画と運営よろしくね!」というメールが届いておりました。
久々の再会にいつもより飲んでいたからでしょうか、私は友人の発言に対し、「い
いね!幹事やるから全部任せて。」と応対していたらしいのです。こうして私は同
期317名を対象とした卒業10周年記念同窓会の幹事になってしまいました。
<企画・準備>
酔った勢いで幹事を引き受けたものの、これほどの規模のイベントを企画したこ
とがありません。さて、どうすべきか。困った私は、まず長高金鵄会事務局の桃林
事務局長に相談し、
(1)各クラスの幹事団(地元組と東京組)を組成すること、
(2)各人の住所やメールアドレスを確認すること、
の初動の重要性をご教示いただきました。
その後、日本のみならず外国でも活躍する仲間に対し、効率的かつ効果的に同窓
会情報並びに出欠意思表明進捗を伝えるため、「高57回卒業10周年記念同窓会専用
ウェブサイト」を立ち上げ、パソコンやタブレット、スマートフォンにて参加意思
表明ができるよう工夫しました。準備期間中は、他幹事や各クラス代表にも積極的
に協力いただき、万全な準備を実施することができました。
<本番当日>
2015年1月2日の当日は当時の担任の先生方にもご出席いただき、111名の同期が
一堂に会しました。宴会は、当時を振り返るウェルカムショートムービー(キー局
に勤務するテレビマンの同期が製作)から始まり、高36回生のご発案で実現した金
鵄缶ビールによる、盛大な乾杯で幕を開けました。2時間半という限られた時間で
はありましたが、久々に会う旧友と大いに語り合い良い刺激を与え合うことができ
たほか、各々の分野で活躍し始めた近況を担任の先生方にご報告することができま
した。最後には、全員で校歌「山また山」を斉唱し、再会を誓い合って解散となり
ました。
<卒業20周年記念同窓会に向けて>
長高金鵄会では、卒業20周年で初めてクラス横断の同窓会を企画しており、今回
の企画は新たな試みでした。当初、28歳という時期は働き盛りで仕事に忙殺されて
いる人や、出産を終えて子育てに奮闘中の仲間が多く、呼びかけをしたとしても50
名も集まらないのではないかという懸念の声もありました。しかし、最終的には対
象者の35%が参加し、有意義なイベントとすることができました。
さて、次は10年後、「卒業20周年記念同窓会」に向けて57回生は邁進します!
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【3】総会・講演会日程について
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最近は年3回の講演会を行ってきましたが、少し減らしてはとの意見も幾つか頂
いておりました。学年幹事会で検討の結果、春の講演会と総会・講演会の年2回体
制とすることになり昨年度の総会で了承されました。
総会・講演会は12月5日午後、マリオット銀座東武ホテルで開催いたします。ご
予定ください。
幹事長
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□ 発行人 中村 健 東京長高金鵄会会長
□ 編集人 近藤 英一 東京長高金鵄会幹事長
□ お問合せ 東京長高金鵄会連絡係 E-mail: info@tokyo-choukou.com
□ 配信停止・登録変更は、東京長高金鵄会連絡係までご連絡下さい
□ 東京長高金鵄会HP : http://www.tokyo-choukou.com/
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