文字化けをした方があったかもしれません。申し訳ありません。再送します。 <お知らせ> 今回のメルマガは、1回生滝口様の原稿に貴重な 写真が入っており、メールに上手に載せることが できませんでした。 従って、下記に、PDFファイルで載せていますので ぜひ、下記をクリックし、どうぞご覧になって下さい。 http://www.tokyo-choukou.com/merumaga/2009.8.pdf 尚、写真のないメルマガも以下に掲載いたします。 下記の原稿には、通常の漢字変換コードに含まれない文字が入っており 正常に表示されない場合があります。ご了承下さい。 上記のPDFはそういうエラーは出ないと思いますので、そちらをご覧下さい。 ///////////////////////////////////////////////////////////////// 東京長高会 メルマガ2009年8月号 東京長高会は関東在住の長野高校出身者による交流会です。 当会は同窓の交流を促進するため定期的に講演会を企画し、 隔月にメルマガを配信しています。 今後の配信を希望されない方は以下にご連絡いただければ 以降は配信をいたしません。 東京長高会 連絡係 柳町明敏 e-mail: akitoshi.yanagimachi@ninus.ocn.ne.jp この8月号の、 ≪学友だより≫には、14回の伝田六郎様から 「いつまでも夢を追いかけて」と題してご寄稿いただきま した。 ≪学年だより≫には、1回の滝口久様が現在執筆中の終戦 直後の応援団物がたりを脱稿前にご寄稿いただきました。 ≪幹事会だより≫では、学年幹事会と秋の講演会について 再度ご案内いたします。 **********≪学友だより≫********* このコラムでは、同窓から記事を寄せていただいております。 この度は、14回の伝田六郎様から8月20日の0時54分 にメールで頂いた記事です。なぜ、そんな時間にいただいた かは、読んでいただければ納得できます。 ************************** 「いつまでも夢を追いかけて」 第14回生 伝田 六郎 私はこの原稿を、カザフスタンの旧都アスタナからその田舎町 シムケントに向かう機上で書いている。眼下には真夏の太陽を 受けて、一見赤茶けた岩盤のように見える土漠が延々と広がっ ている。そして、そのかなたには真っ白な雪を戴き、累々とし た天山山脈の屏風のような山脈がつらなっている。その土漠の なかに巨大な河が流れるようにうねりを見せながら、緑色の大 きな帯が幾筋となく続いている。これがこの地方独特の草原 (ステップ)で、上からみると苔が岩盤に張り付いているよう にみえるが、この時期には実際は長いところでは身の丈ほどの 草に覆われており、様々の花が咲き乱れて、さながら花畑の ようになっている。 私は、現在66歳。日本を遠くはなれて一人、こんなところを なんで飛んでいるのだろうと思う事もある。 昭和37年に長野高校を卒業して大学、大学院では化学 工学を専攻し、大きな化学プラントを世界に建設する、その 壮大なロマンに憧れた。卒業して倉敷レイヨン(現クラレ) に入社し、イソプレンモノマー(合成ゴム原料)合成のプロ セス開発のチームに配属された。たくさんのすばらしい先輩に 囲まれて鍛えられ、そしてそのチームが開発したプロセスを 茨城県の鹿島に商業プラントとして建設した。 今もそのプラントは立派に稼働している。約8年のその歳月 で、化学プラントの基礎をすべて叩き込まれたと言っても過言 ではない。 その後家庭の事情もあって、日本製鋼所のエンジニアリング 事業部に移り、ここで旧ソ連、東欧圏へのプラントビジネスに どっぷりと係り合う事となった。ここでは様々なプラントを 抱え、旧ソ連、東欧圏だけではなく、さらには中近東にも足を 延ばして様々な形での石油、ガス、石油化学のプラントにかか わって来た。南はサハラ砂漠から北はシベリアの果てまでも 飛び歩いた。 日本製鋼所を定年退職後も、やはりプラントに対する思い を断ちがたく、現在はEBRD(ヨーロッパ復興銀行)の技術 アドバイザーとして、旧ソ連の一員であったカザフスタンに また通い続けている。主たる業務は、ソ連邦崩壊後のCIS周辺 諸国の中小企業に対する、省エネルギーや環境改善のアド バイスであるが、機会を見つけてはプラントビジネスに結び付 けて何かのプロジェクトを追いかけている。 現在の夢は、眼下に広がるこの大地に、一大肥料プラントを 建設する事である。一緒に仕事をしている先輩諸兄も80歳に 手の届きそうな先輩もおられ、私はまだまだ青二才。夢を持た なくなったら、これがほんとに定年と自分に言い聞かせている 日々である。 (完) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆≪学年だより≫☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 高校1回の学年幹事、滝口久様から貴重な原稿をいただきま した。 この原稿をいただけたキッカケは、5月23日の春の講演会で お会いした時、滝口様からセピア色した1葉の写真を見せて いただいたことです。それは終戦直後の応援団の写真でしたが、 戦闘帽をかぶっている者がいたり、高校生徒は思えない厳つい 輩が写っていたりで、金鵄ヶ台にはこんな時代もあったのかと 目を見張りました。 滝口様は依頼を受けて「応援団物語」を書いている最中との ことでしたが、無理をお願いしてその記事をメルマガにも頂け ることになりました。 頂いた原稿は長いので、滝口様のご了解をいただき、今回は その前篇を配信し、後編は10月号に掲載する予定です。 頂いた写真を添付したのですが、送信できないため残念ながら メルマガでは割愛させていただきます。 写真つきのメルマガをご希望される場合は、編集部までご連絡 ください。別送させていただきます。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 「熱血応援団長 人生意気に感ず!!」 1回 滝口 久 北信濃の春は遠い。桜の蕾も未だ固い昭和18年4月、我々は希望 を胸にふくらませ乍ら長野中学へ入学した。 上条校長先生からは長中三校訓なるものを叩き込まれた。 質実剛健、至誠尽忠(戦後は至誠一貫となる)、和衷協同。 この三つが長中の伝統として現在に至っている。校訓として 絶える事なく生徒指導の本流となって脈々と受け継がれている のだ。 然し校訓と実態と乖離(かいり)した者も少なからずいた事は否めない。 その中で頑として伝統を守り華美に走らず身を以って実践した気丈な 男がいた。 その名を佐藤栄といい、後の応援団長であり、又の名をチャカ、 「頑(がん)つ」ともいう。 彼とは1年4組で一緒。以来気が合い親交を深めている。 担任は綾部ペロ先生。 ペロさんは長中初めての担任で1年間であったが印象は深かっ た。翌年3月に岩手の方へ転任されたので皆で長野駅迄見送り に行っ た。二年生も一年生の時、受けもたれたので見送りに来てい た。 入学まもなく五年生より応援歌指導ということで一年生全員 校庭に集められた。 未だ声変わりをせず毛も生えない一年生から見た 髭の生えた五年生は怖いおっさん(・・・・)以外の何物でもなかった。 当時の校歌は「海ゆかば」と「大和心」だった。 「山また山」は「金鵄の光」という題名で応援歌の1つだった。 戦後校歌になった。 運動部の対抗試合がある前日は選手を前に並べて五年生の音頭 で応援歌を歌って壮行会をやったものだ。当時は応援部なる ものはなかったが皆一生懸命応援したものだった。 応援部の変遷であるが、長中初代の応援団長は伊東淑太氏で 大正11年3月卒だから87年も前のことである。(百年史より) 以来、応援部は受け継がれてきたのではない。消えたり出来 たり種々変遷を重ねてきた。 戦雲急を告げる様になると校友会活動もままならず、学校も 工場となり勉学・部活何れも中途半端な事態となった。 学校へは頻繁に陸海軍人が来て講演会があり、軍関係の学校 への志願を勧めた。 現代は如何に生きるかという時代であるが、当時は如何に死 ぬかという時代で暗い時代が続いた。 でも、こういう時代でも我々は長中生としてのプライドと希望 を以って皆頑張ってきたと思う。 戦後21年4月30日、野球班が復活(80年史より)。 対外試合もあることから応援しようとチャカ氏は熱心に人集め に奔走した。 小生を始め、田中アッチャン、小林のショウシン、北沢カッチ ャン、長谷部タブチャン、小原の大蛇、小林ミッチー、倉沢の ヨウさん、原の土産(みやげ)、等々志を同じくする者、馳せ参じた。話を聞 いた担任の堀内ビス(?(じ)孟(もう))先生は快く顧問になってくれ、その後も 何かと公私に亘り面倒をみていただき大変感謝している。 昭和21年11月11日の朝礼は、秋季市内リーグ野球応援参加の件 で騒然としていた。 佐藤応援団長は、我々の友が勝ち進んでいるのに、応援に行か ないとは何事かと顔を真っ赤にして叫んでいた。 教頭も遂に折れ、今日は授業なしとなり、対長工戦に駆けつけ 9:8で長中が勝利した。 翌12日、長商との決勝戦である。翌日も40分授業3時間で長商 グランドへ押しかけたが、長商の連中は誰もいないので団長怒 り心頭、先方団長M君を呼び出し、我々は今日の為、学校から 貴重な時間を貰い応援に来たのだ、長商は全員応援に来ている との情報が入ったがこの有様は何だと詰め寄った。驚いた彼は 直ちに学校へ連絡。全員応援に駆けつけるという事になった。 当日の試合は3:2で長中が勝ち、勝利を得た。 上記戦績得点等は上級生同期会の「やまびこに遥かなり」及び 「長高80年史」等を参照した。 当時我々は、中学四年生であったが、五年生より威張っていた。 為に度々生徒会役員とも衝突し、意見の違いもあったが団長の 直向(ひたむ)きな熱意が勝利をもたらしたもので、校訓を自分のものとして 実践していった。抜群の指導力と付和雷同しない己の信念を貫いた彼 の一徹さがうかがえる。正に応援団長ここにありと言われる所以(ゆえん)で ある。 然し、応援団長というものは一々理屈をこねたり迷ったりして は駄目だ。1000人の人間を引っ張っていく総司令官であるから 己の信念に基づく強さと的確なとっさの判断力が要求される。 質実剛健、至誠一貫、和衷協同、何と好い校訓ではないか。 彼はこれを身に付け織田信長の如く突き進んだ。 応援部は、運動部、教養部の様な班組織ではないので学校予算 を一銭も付与されなかった。 応援小旗等も団長が知り合いの染物屋へ頼んで作ったものだ。 予算はなかったが友情は充分あり大きな財産だった。 この小旗を何物かに全部へし折られた事件があった。 それが夕刊に大きく掲載されて、それを見た?孟先生、団長を 呼んで、マスコミというものは一寸した事でも面白おかしく 人目を惹くように書くものだ。気にすることは全くないないと きっぱり言われた。 然し、腹の虫が収まらなかったのは応援部の面々。他にも同調 者がでて、放課後全校生を講堂に集め、かような卑劣な行為し た者は直ぐに名乗り出よ、と迫ったが、誰も出なかった。 昭和24年3月、文系の卒業小冊子「?(じ)孟会(もうかい)」に彼は「私は真の 友情の中に生きたい」と題し次のように述べている。 私の欲する真の友とは心の友である。 魂と魂との触れ合った友であり、人格と人格の結びついた友 である。 私は成長の途上を共に歩む伴侶としての真の友を求めるので ある。 そしてその友情の中に生きたいと思うふ。 (以上前編) (榎本編集員付) 10月号の後編では「応援歌と旧制高校」で現代の教育制度に カツを入れ、「楽しきアルバム」で、運動会にヤマ(現在の 長野西校)の生徒を呼んだ経緯やその後ミス・ヤマたちと キャンプに行ったことなど、楽しく綴られています。 ※※※※※※※※※※≪幹事会だより≫※※※※※※※※※ 定例の学年幹事会と秋の講演会が下の内容にて開催されます。 皆様のご参加をお待ちしております。 日時:2009年9月18日(金) 18時(受付開始) 会場:虎ノ門パストラル 新館5階ミモザの間 (港区虎ノ門4-1-1 Tel:03-3432-7261 URL: http://www.pastoral.or.jp/) 講演会: 第1部18時20分〜19時10分 講演者; 三神 万里子 氏(高42回) 「次世代産業創出と地域経済活性化を考える」 (演者経歴)慶応義塾大学環境情報学部卒。 日本文藝家協会会員。 信州大学経営大学院客員准教授。 ジャーナリストとして多数のビジネスや経済関係の論文 を執筆する一方、キャスターとしてNHKや民放に出演 されておられます。 多忙にもかかわらず若手を代表する著名人として講演を 引き受けていただきました。 著書には『メガバンク決算』(角川書店)、 『パラサイト・ミドルの衝撃』(NTT出版) など多数があります。 第2部 19時20分〜20時10分 講演者; 才口 千晴 氏(高9回)「司法の現状と将来」 (演者経歴)中央大学法学部卒。 破産法の専門家。 2004年から昨年まで最高裁判所判事。 1997年から99年まで当東京長高会の幹事長として、 その後04年までは副会長として面倒を見ていただきま した。 今回はそのよしみで講演をお引き受けいただきました。 著書には『民事再生法の理論と実務(上・下)』 (ぎょうせい)、 『特別清算手続の実務』(商事法務研究会・共著) など多数があります。 懇親会:新館6階 ロゼの間 20時20分〜21時 会費:7,000円(含む懇親会費、事務費) 参加ご希望の場合は、各学年幹事もしくは以下先にご連絡ください。 (連絡先) 東京長高会 連絡係 柳町明敏 e-mail: akitoshi.yanagimachi@ninus.ocn.ne.jp 多くの同窓のご参加をお待ちしております。 **********************≪編集後記≫********************* お忙しい中ご寄稿いただいた1回の滝口久、伝田六郎様には 心より御礼申し上げます。 メルマガを発刊してから、1回に始まり42回に至るまで多く の同窓から便りいただき配信してまいりました。 ここまで配信を重ねてくると、3世代にもまたがってはいます が、学び舎を共有した人生や所感が一個の人格として命が宿っ てきたように感じてきました。 このメルマガの編集も仕事の合間をみて格闘してきましたが、 こうして宿り始めた命を育まなければならないと、改めてやり がいを覚えています。 今後も同窓の皆様に原稿をいただくお願いしますが、時には メルマガに載せてくれと原稿が舞い込んで来ないかと期待も しています。 2009年8月26日 編集長:小池俊介 編集委員:左治木幹夫、榎本功子、柳町明敏
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